当社は様々な浮気調査の依頼をいただきます。
その中には訴訟(裁判)になるケースもあります。
最近、非常に強く思うのは
裁判官の状況の精査能力の低さです。
裁判官の人事評価で一番、重要な事が
「担当事案の処理能力」と言われています。
どれだけの審判を処理したか?
ですから「たかが離婚裁判」。
とっとと片付けてしまおうと思っているのか?
「たかが離婚裁判」との意識を感じるのです。
原告の心の傷をさらけ出して提出した
陳述書をほとんど読んでいない。
裁判を傍聴していると、依頼者である原告が
事前に提出してある陳述書を
まるで読んでいないことが分かります。
足利事件のような社会の注目を集めている
裁判でさえ、あのずさんな内容である。
たかが「離婚裁判」だとの感覚なのだろうか?
人が人を裁く難しさは相当なものであろうと思います。
だが、それでも裁判に救いを求めている
当事者には一生の問題です。
このブログを読んでいただいた方へ。
できれば裁判の傍聴に行ってください。
一人ひとりの意識が裁判の公正を
維持することになると思います。